やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

「物欲がない」のではなく「ものぐさ」なだけ

人はいつでも自分の都合のいいように解釈する


私は物欲がありません。
腕時計は10年近く同じものを付けています。だって、高いものと時間は一緒だからね。ケータイもいまだスマホではありません。特に今のケータイで不都合ないしね。車も10万キロ超えましたがまだ乗っています。だって新しく買ったら300万とかかかるのに、車検出せば20万で2年乗れるのよ。家財道具も18歳で一人暮らしをした時に買ったものがまだいくつも現役で活躍中です。


「コレクション」という趣味がありません。
フィギュアを集めている人がいますが、あれ、集めてどうしてんの?見て、何が楽しいの?ホコリの掃除だけでも大変そうだなあ。
CDなどの特典でステッカーやポスターがもらえるかどうか気にしている人を見ると、「お前が欲しいのはCDなのかポスターなのか」と問い詰めたくなります。そのステッカーどうすんの?貼るの?貼らないんでしょ。じゃあ「使用善の美」を成してないじゃん。
コンビニでペットボトルのジュースにおまけが付けられているのも不要です。その分安くしてよ。


「ショッピング」が楽しいとそんなには思いません(ここだけちょっと弱め)。
各地方に大きなショッピングセンターができたりアウトレットモールができたり「ヒカリエ」のような商業施設ができたりしていますが、全然興味ありません。
どこも「たくさんのお店が入っているだけ」でしょ、と思ってしまうのです。特に東京旅行でたくさんの買い物したら荷物増えて邪魔じゃない。


とはいえ。


最近私は仕事の異動でだいぶ僻地に住んでおります。スーパーなどの日常生活はいいのですが、「ハレの買い物」ができないのです。そこで先日「服などを買おう」という目的の元遠出をしてきたのですが、そしたら楽しかった…。「金を使うぞ」「いいもの買うぞ」という目的での買い物は楽しいですね。


それでも、そんなに買い物は好きではありません。ブランド物には全く興味がありません。宝石貴金属にも全く興味がありません。ケチではないので彼女にねだられれば買いますが、そういえば彼女いなかったな。


と、昔から思っていました。「俺は物欲にまみれた資本主義社会とは一線を画しているぜ」と。
しかし最近、それは「たくさんの選択肢の中から決定する」「店員さんに詳しい話を訊く」などを面倒くさがっているだけじゃないか、と思うようになってきました。
確かに時計や車などは高価な買い物です。決めるまでにいろいろ情報を集めて最高の一品を選ばなければなりません。家財道具も、買い換えるとなると入れ替えや部屋の模様替えや古い家具の処分など、やらなければならないことがたくさんあります。そういうことを面倒くさがっている言い訳が「物欲がない」なんじゃないか、と。


これではいかん。そうでなくても歳をとると新しいものに手が出なくなるのに、今からその手を引っ込めてどうする。
そうだ、買い物をしよう。
というわけで、あと1年の間に時計と財布と車とケータイを新しくしよう!とここに宣言。