やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

「武器としての決断思考」瀧本哲史 感想

一人でやる分にはいいけど


ビジネス本は少しは読みますが、スキル・ノウハウ本には興味がありません。それよりも「物の考え方」「心の持ち方」などについての本を欲します。
そして買うのはほとんど新書です。ハードカバーはでかくて固くて重くて高いでしょ。
本を選ぶ基準は「タイトル」と「目次」です。目次には内容のおいしい部分が詰まっているから。映画の予告編のようなイメージ。
まあ、そして読んだら内容は大したことないものも多いのですが。予告編に騙されたぜ、という感じ。


というわけで本書。タイトルも目次もまえがきもいい感じ。そう思って買ったのですが、内容は「ディベートの説明本」でした。
ディベートはある物事に対し、肯定・否定の両面から意見を出し合い、どちらが優れた意見だったかを決める競技です。
よく日本人は議論が下手、それはディベートの教育をしていないからだ、という意見を見かけます。それについては賛成です。私たちは意見を交わす際に「感情」「人柄」「肩書き」などとごっちゃにして話してしまいます。そうすると「こんなことを言ったら嫌われる」「上司言うことだから反対できない」など、議論の内容そのものとは別の要因で結論へ進んでしまいます。


本書はこのディベートの技術を使って、自分にまつわる問題に対し決断をしていきましょう、という内容です。この「決断」は「正解」ではなく、「最善解」というところがミソ。どれが正解かなんて決められない問題もあるし、正解はもっと先の未来かもしれない。そして「正解」を求めるあまり動けなくなることが一番悪い、とにかく動くための「その時の最善解」を出しましょう、ということです。
うん、いいこと言う。では、どうすれば?


そしてここからディベートの技術を使って物事を考える方法が書かれていくのですが、そもそもディベートは相手がいないと成り立ちません。ディベートの技術を会得すれば一人で考えられるようになるのでしょうが、そこに至るまでは相手と練習しなければいけません。その時、相手も同じく「ディベートの練習のため」という共通目的を持っていればいいですが、一般の人相手にディベートをふっかけても「何こいつ、うぜえ」「理屈屋さん」などと思われるのがオチでしょう。
なので、言いたいことややりたいことはよく分かるし賛同するのですが、現実的な部分で「難しいなあ」と思ってしまいました。
あと、本書の内容がほぼ「ディベートのやり方」というルールブックのようなので、読んでいてもつまんない。いや確かに「ディベートの技術を使って物事を考えるようになうためにはディベートのやり方をまず知るべき」なのは分かるのですが…。


というわけで、あんまりはまらなかったです。

武器としての決断思考 (星海社新書)

武器としての決断思考 (星海社新書)