やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

「ネット以前と以降」で音楽の歴史に線が引かれる

眩しき新世代


「世代の壁」というものは、あります。シャツはズボンにインする派?外に出す派?そもそもズボンって言う?パンツ?ローライズのジーンズを腰穿きする?眉をひそめる?髪の毛は前に流す?後ろに流す?
これらで世代の壁は確認することができます。年齢ではなく文化やファッションに対してついてこれるか。
で、そういうものは音楽にもあるよね、という話。


1990年代、HIPHOPが日本の音楽シーンに登場しました。
1990年、スチャダラパーデビュー。
1991年、「天才たけしの元気が出るテレビ」で「ダンス甲子園」スタート。
1993年、m.c.A・Tデビュー。
1994年、「今夜はブギーバック」「DA.YO.NE」発売。
1995年、LAMP EYE「証言」、キングギドラ「空からの力」発売。
1996年、「さんぴんCAMP」開催。
1999年、DragonAshViva La Revolution」発売。
Wikipedia「日本のヒップホップ」より。日本のヒップホップ - Wikipedia

小沢健二 今夜はブギーバック
www.youtube.com
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このHIPHOPという音楽の台頭で、音楽の歴史に線が引かれます。ラップを取り入れているか否か。
それはラップを導入しているかどうかという表層的なことではなく、「トラック」という概念で音作りをしているか、歌詞で韻を踏んだりフロウっぽいメロディ(韻を踏む場所で同じ譜割りにしているとか)を導入しているか、メロディやコードよりもリズムを優先した音作りになっているか、などです。


この当時から活動をしている人たちは、今さらラップを取り入れるのは難しいようでした。佐野元春のような例外を除いて(アルバム「VISITORS」は1984年だぜ!)。
そして途中から取り入れようとしてもやはり表層的にならざるを得ず、上手くいかないようでした。しょうがない。誰も方法論などを知らない時代だったから。
その中で、DragonAshのような若い世代がHIPHOPを日本の音楽としてメインストリームに押し上げてくれました。


ここで、ひとつ音楽の歴史に線が引かれました。HIPHOPを受け入れるか否か。
※ここでいう「HIPHOP」とは「YO!YO!」のようなラップだけではなく、HIPHOPの方法論で作られた音楽や音像のことも含みます。


そして2015年、「ネット以前と以降」でまた新しい線が引かれました。
線を引いたのは「米津玄師」と「ぼくのりりっくのぼうよみ」です。
米津玄師は1991年生まれ。「ハチ」の名前でニコ動で活躍していた人です。

米津玄師 MV「メトロノーム」

米津玄師 MV「アイネクライネ」
彼がミュージシャンとしてすごいと思うのは、HIPHOPはもちろんのこと、アイドルもボカロもロックや歌謡曲と同列で聴いている(と感じる)ところです。
私は彼のことをほとんど知らないしインタビューも読んでいないので詳しいことは分からないのですが、聴いているとそう思うのです。


ロックやポップスはある程度「定型」があってそのフォーマットに沿って作られているものが多いですが、HIPHOP以降はその定型がどんどん崩れているように思うのです。この「崩れている」は悪い意味ではなく、フォーマットから自由になっている、という意味です。
HIPHOPは「楽器を弾けなくても作れる音楽」です。リズムマシンターンテーブルがあれば作ることができる。そこでは難しいリズムを叩くためにドラムを練習するということは不要なのです。それどころか人力では不可能なリズムだって作ることができるのです。
同じようにボカロなどのデスクトップミュージックは、「楽器が弾ける」ことを必要としないばかりか、手で弾いていたら不可能な、そして思いつかないようなフレーズを弾くことも可能になりました。
アイドルの楽曲は、とにかく手数が多い。1曲の間でどれだけ転調してリズム変化してフックやギミックを多用していることか。1曲の中にかつてのJ-POPの5曲分をぶち込む情報量。このコードからこのコードにいく?このコード進行でこんなメロディ充てる?こんな無茶な転調をする?そしてそれがポップに着地するとは!


と、これらを経て生み出される米津玄師の音楽は、確かに2010年代以降でなければ生み出されることはなかったと思います。これは、YouTubeを始めとしたネットが若い頃からあり、ジャンルも年代も関係なく並列に、そして大量に聴くことができるこの世代ならではのものです。


そしてもうひとりが「ぼくのりりっくのぼうよみ」。彼は何と17歳!今年センター試験を受ける高校3年生!

ぼくのりりっくのぼうよみ - 「CITI」ミュージックビデオ

ぼくのりりっくのぼうよみ - 「sub/objective」ミュージックビデオ
彼の音楽はHIPHOPですが、「フリースタイルダンジョン」のようなヤンキー臭はゼロです。HIPHOPは単なる音楽ジャンルではなく、ファッションやカルチャーも含めてHIPHOPの魅力なのですが、彼の音楽は「音楽ジャンルとしてのHIPHOP」しかない。
かつての「俺がNo.1」といったHIPHOP魂は持っていないのです。RIP SLYMEだってKREVAだってとてもおしゃれですが、根っこはオールドスクールHIPHOPに憧れてラップを始めた人たちです。


それでいいと思います。私は日本語ラップは大好きですが、ヤンキー臭やHIPHOPファッションや「俺がNo.1」のようなつまんない自己主張が好きではなく、もっとロックのように単なる音楽ジャンルになってくれないかなとずっと思っていたので、ようやくその本命が来た!と思っています。ここから日本のHIPHOPは変わるぞ。


彼の音楽が素晴らしいのは、ラップがメロディアスというところです。ラップは「メロディ要素の少ない歌唱法」ですが、それゆえ一般の人からは「単なる早口だろ」「お経かよ」と思われてきました。それが、彼の曲はラップなのにメロディアスです。これなら一般の人でも入りやすいのでは?


また、HIPHOPはDJ、ターンテーブルというのも付きものですが、彼はトラック制作もネットでカッコいいトラックを見つけてそれにラップを乗せるというやり方をしています。何て2010年代的!
もともと「有名曲の美味しいフレーズを拝借(サンプリング)して曲を作る」というのがHIPHOPですが、彼はトラック制作すら外から見つけてくるというやり方。クール。


という新世代の天才二人。
どちらもネットがあるから生み出されるようになった音楽です。「ネット以前と以後」で歴史に線が引かれる。
しかし、私は完全には彼らに乗れないのです。上に書いたように彼らのすごさは「理解」はできるのですが、「夢中」にはなっていないのです。多分、ここにも世代の線が引かれているのだと思います。私は旧世代の人間だ。
旧世代が新世代に伝えられるのは歴史の歩みですが、彼らはその歴史を縦横無尽に歩いている。ネットの中では歴史はあまり意味を持たない。全てが並列に存在しているのです。


歴史は重要だが絶対ではない。アウトプットとして素晴らしい音楽が生み出されればそれでいいのです。「歴史が関係なくなった」という歴史から生み出される新しい音楽。未来はいつでも明るい。


YANKEE (通常盤)

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diorama

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Sub / Objective

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パッチワーク

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