やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

歴史は、歴史書を書く人が作る。~はっぴいえんど、渋谷系、そしてSuchmos~

はっぴいえんど警察、渋谷系警察が怖い


渋谷系
今年のフジロックコーネリアス小沢健二が出演して大きな話題になりました。コーネリアスこと小山田圭吾がずっと素晴らしい音楽を作っていることは知っていますし今年本格的に活動を活発化させたオザケンが話題になるのも理解します。


それでも私は言いたい。渋谷系、持ち上げすぎじゃね?


1990年代前半、渋谷系が渋谷で流行ったとき、渋谷系は全国で流行っていましたか?今Wikipediaを見たら1993年頃にこの言葉が生まれたそうですが、その年のヒットチャートは以下の通りです。
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ちなみに94年95年は以下の通りです。
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チャゲアス、サザン、B'z、ミスチル、ドリカムといった今も活躍している人たちとビーイング系、そして小室サウンドの時代です。ヒットチャートとしての渋谷系は、大きな売り上げがあったわけではありません。


当時私は高校から大学に上がる頃で、ロキノン信者(本家ロキノンもジャパンも両方読んでいた)だったので渋谷系のことも知識としては知っていました。ラブ・タンバリンズオリジナル・ラブなども聴いていました。ラブタンのエリさんのセミヌードのジャケットは今でも覚えています。もちろん音楽も。

↑世間的にはこっちの方が有名ですよね。


渋谷系といえばフリッパーズ・ギターですが、当時はその良さが私には分かっていませんでした。歌下手じゃん、もっと声張って歌えよ、と思っていました。
1990年にレコード大賞ポップス・ロック部門の最優秀アルバム・ニューアーチスト賞を受賞したとき、私はテレビを見ていましたが、そのやる気のなさと歌のひどさに「なぜこれがレコード大賞を獲るの?」と思った覚えがあります。
flippersguitar.blogspot.jp
これによるとこのときは口パクだったのか。それでもあんな歌唱力だったのか。


フリッパーズ・ギター解散後、二人はそれぞれソロ活動を始めて活躍。特にオザケンは『LIFE』で大爆発し紅白歌合戦にも出場しました。
確かに『LIFE』は名盤です。私も大好きです。歌は下手だけど。しかしその後の『球体の奏でる音楽』『Eclectic』は一般受けするような内容ではありませんでした。『球体の奏でる音楽』はジャズ、『Eclectic』はソウルとエレクトロニカなんでしょうけど、やはり歌唱力が足りなくて曲や演奏を十分に活かすことが出来なかったように感じました。
小山田圭吾コーネリアスとして活動をしていましたが、途中からプロデューサーや裏方仕事の比率が多くなり、表舞台で目立つ活動をすることは少なくなりました。
しかしそれでも『球体の奏でる音楽』『Eclectic』もコーネリアスの活動も評論家には評価されていました。
まあ確かに評論家的な視点から見れば名作なのかもしれませんが、いちリスナーとしてはあまりピンときませんでした。コーネリアスは1st以降全然聴いていないのでよく分かりません。


というわけで、オザケンは世間的には『LIFE』1枚だけ、小山田圭吾はソロとしては世間にあまり知られることのない存在だったのが実際の話。なのに、なぜこんなにマスコミは騒ぐのか。


それは、マスコミ(テレビ・雑誌・Web)の人たちが渋谷系を聴いて育ってきたからです。そういう高感度オシャレ人間たちがマスコミに就職したから、渋谷系は実際以上の扱いを受けているのではないか、というのが私の説です。


当時地方に住んでいた私にとって渋谷のレコード店なんて行けるはずもなく、そこで最新の文化が生まれていようが、その波を感じることはありませんでした。今のようにネットもSNSもないので、情報はマスコミだけ。かろうじて雑誌から「何か渋谷系というオシャレな音楽があるらしい」ということを知った程度です。テレビは大御所とビーイング系小室ファミリーですから。
それでも音楽好きだった私は聴いてみたのですが、どれもあまりピンときませんでした。当時ハードロックを好んで聴いていたから当然ですけど。


渋谷系に関する結論。渋谷系は当時局地的なブームに過ぎなかったが、それを好きだった人たちがマスコミに入ったため、渋谷系の地位が上がって現在の評価に至る。


<思い出し追記>
渋谷系の過大評価と一緒に「V系の過小評価」も書いておきたい。V系ファンは女性が多いのでライターや評論家になった人数が少ない。だから渋谷系に比べて現在の評価が低くなっている、というのが私の見立てです。
BOΦWYに始まりXJapan、ルナシーGLAYラルク等、マスにもバンドマンにも与えた影響はとても大きい。なのにV系は音楽ジャンルとしてきちんと評論されない部外者扱いです。その辺どうなの、ロキノン諸君!


はっぴいえんど
同じことを、はっぴいえんどにも感じるのです。はっぴいえんどといえば「ロックに日本語を乗せる方法論を開発したパイオニア」という扱いですが、本当にそうなのでしょうか。
いわゆる「日本語ロック論争」の当事者であった彼らが『風街ろまん』でロックのメロディに日本語を載せることに成功した、というのが正史のようですが、実際聴いてみてもそのすごさは私には分からない。0を1にしたということがすごいのでしょうが、技術論としてどうすごいのかが私には分からないのです。


それよりも、矢沢永吉桑田佳祐佐野元春の方がすごいと私は思うのです。


英語と日本語をチャンポンにして巻き舌唱法で歌う矢沢永吉、英語の響きのまま日本語に当てはめた(母音がアイウエオだけでない発音)桑田佳祐、音符一つに1音という常識を打ち破りロックのビートに日本語を乗せた佐野元春の方が実質的なイノベーターだと思うのです。それは技術的な部分と「売れた」という部分との両面で評価されるべきです。売れたからこそ多くの人に聴かれ、日本語でロックをやることに対する違和感は消え、古臭い論争は終わり、新しい才能が出てきた。こっちの方がすごいでしょ。


これも、評論家が「はっぴいえんどはすごい」という歴史観を持っているために矢沢桑田佐野の評価が相対的に低くなっているのだと思います。はっぴいえんどは村の話、矢沢桑田佐野は実際の大衆への影響の話です。規模が違う。


Suchmos
最後にSuchmosの話を。彼らが登場したとき、誰もが「ジャミロクワイじゃん」と思ったはず。確かに当初はジャミロクワイの影響が大きい音楽でした。
普通、若く新しい音楽は若い人がキャッチし、そこから広まります。それはなかなか大人には広まらず、大人は「最近の若い子が聴く音楽は分からんな」と無理解なのが通例です。それこそが若く新しい音楽の魅力のひとつなのですが。
それが、Suchmosはいきなり大人からも賞賛をもって迎えられました。それはやはり「ジャミロクワイっぽいから」です。90年代にアシッドジャズムーブメントがあり、そこでジャミロクワイは頭一つ抜けた売れ方をしていました。聴いているとオシャレになった気がするんですよね。
という下地があったため、Suchmosはすぐに大人にも認められる存在になったのだと思います。その証拠の一つがホンダ・VEZELのCM曲に彼らの楽曲が採用されたことです。
この車の購入想定者は30代くらいの男性だと思います。本当に「Suchmosが若手に人気!」ならば若者向けのCMに起用されるはず。それが30代をターゲットにしている商品に起用されるということは、この音楽に反応するのはこの世代だという分析があったからのはずです。


大人が認めやすい音楽性だったこともあり、すぐにマスコミは彼らを取りあげました。俺、若い音楽にまだまだ付いているぜ、という自尊心を上手くくすぐる音楽だったのでしょう(それはあくまで結果的に、ということですが)。カンニング竹山さんも彼らを賞賛していました。そしてもちろん私も。
というわけでここも「大人が見つけたので早いブレイクをした」事例だと思っています。


以上3つの事例から、歴史は歴史書を書く人が作るのではないか、という私の説でした。


LIFE

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  • アーティスト:小沢健二
  • ユニバーサル ミュージック (e)
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