やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

このブログ、1000記事だそうです

おめでとう、私


昨日ブログを書いてアップしたところ、こんな画面が出ました。
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えー、999記事。ということは、今書いているこれが1000本目の私のブログの記事なのだ。


ブログ開始は2012年。当時仕事の異動で島流しに遭い、アウトドア要素ゼロの私はこの大自然を持て余し、ヒマを持て余し、ブログを開設しました。
もともとサブカルクソ野郎なので、自分の見た映画聴いた音楽読んだ本について語りたい、他人に勧めたい、どこが良いのか語り合いたいという欲は持っていたのですが、こんなクソ野郎に付き合ってくれる人はいないので、ひとりで悶々としていたのです。
当時はTwitterも始めていなかったので、ブログは私の「語りたい欲」をとても満足させてくれました。
もちろん当初はアクセス数も少なく、しばらくは宇宙に向かって独りぶつぶつと呟いているような感覚でした。それでも、自分の備忘録としての機能もあるので、やはりブログはありがたい。ここに書いた作品については今でも熱を持って語れるけど、書かなかった作品はもう覚えていない。記憶は反芻することで定着するのだ。


ブログ開始当初の記事は、今読むと寒いものばかり。特に映画関係の記事はひどい。なのに今でもいくつかの作品は検索エンジンの上位にあるようで、テレビ放送などがあると検索流入で読まれることがあります。ありがたいけど恥ずかしい。最近の自信作を読んでくれと思っても、なかなか思い通りにはいかない。


私がブログを書くときに気を付けているのは、「敬語(です・ます調)で書くこと」「評論や第三者目線ではなく自分の感情・感想で書くこと」です。
前者は、炎上したくないから。丁寧な言葉づかいで書くだけで印象は違うはず。でも、その分キレも違うのですが。この辺の取捨選択がまだ出来ていない。「だ・である」のエラソー感や決めつけ感も好きじゃないしなー。
結局私ごときのブログでは炎上なんて起きないので取り越し苦労なのですが。


後者は、せっかく素人が書いているのだから、「自分は好きじゃないけど現在のシーンにおける位置づけとしては評価せざるを得ない」という評論家目線はつまらないなーと思うからです。
自分が好きならそれでよし。ただ、「いい」「好き」だけでは何も伝わらないので、「どこがいいのか」「なぜいいのか」は書くようにしています。「いい」という感情に理屈をつけるのはつまらないかもしれませんが、「いい」と感じた理由はあるはずなので、そこを突き止めるのは楽しい。


といろいろ書いてきてついに1000記事。2012年190、2013年196、2014年118、2015年150、2016年157、2017年153本の記事を書いてきました。2日に1本くらいのペースで書いていたのか。ヒマだな、私。特に2012年はブログ開始が6月だから、1日1本以上のペースで書いているじゃないか。ヒマか!確かにあの当時はヒマでした。隔離された孤島で友達もいないお店もない映画館なんてもちろんない場所で、やることはブログとオナニーくらいですよ。


このブログはアフィリエイトはしていないので、収入はゼロです。今思えば登録しておけば少しはお小遣いになったのかなーと思いますが、あまりどうでもいいかな、というのが正直なところです。今からでも登録できるのでしょうが、面倒なのでしていません。
また、もしアフィリエイト登録をしていくばくかのお金が入ってきたら、アクセス数稼ぎがメインになってしまい、ブログの内容も変わってしまいそう。「あのアイドルのカップ数は?出身校は?カップ数は?」みたいな記事を書いたら本末転倒。あくまで「自分の備忘録が世間にもなにがしかのプラスになればいいな」がこのブログです。


ブログを始めた当初は「こういう書きものでお仕事の依頼が来たらいいな」なんて思っていましたが、さすがに諦めた。文章は誰でも書けるけど、上手い文章はほんの少しの人しか書けない。今後も自分の脳みその「記憶の外部装置」としていろいろ書いていきます。
読んでくれる人がいるのはありがたいです。人はパンのみにて生きるにあらずを実感します。承認欲求で人は生きている。
今後もよろしくお願いします。


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