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映画『護られなかった者たちへ』 感想

映画の評価はできない


映画『護られなかった者たちへ』を見てきました。公式サイト↓
movies.shochiku.co.jp

作品の前情報を何も入れずに見たら、このお話、生活保護が大きく関わっているのですね。私、今年度から生活保護の仕事をしているので、その描き方が気になって作品そのものの良し悪しを判断することができなくなりました。


(以下、ネタバレあります)


オープニングは震災直後の避難所(小学校)の場面。ここの映像が素晴らしい。あの瓦礫の山、全部作り物ですか?美術スタッフの仕事、素晴らしい!
佐藤健の目つきは素晴らしいのですが、避難生活中でも眉毛が整いすぎていて、そこが気になりました。それに対し、阿部寛は眉毛も髭も白髪も全部整えなし。それでもこれだけカッコいいんだからすごいなー。


物語としては、分かりやすいミスリードと分かりやすい意外な犯人。佐藤健と見せかけてー、とくれば、犯人は清原果耶さんしかいないですよね。
でも、無理でしょ。いくらスタンガンがあったとしても、女性一人で男性を拉致監禁できるか?いくら住人が誰もいないアパートで猿ぐつわされていても、周囲に気づかれないなんてことある?陸の孤島に建っているんじゃないんだから。そもそも、そのアパートはなぜ鍵が開いていたのか?
という物理的な問題と、動機もよく分からない。
おばあさんが亡くなったのは福祉事務所のせいだとしても、殺すかね?償わせるとか謝らせるとかではなく、殺すかね?生活保護制度に対する問題提起だとしても、殺すかね?それこそ一緒に働いている今の同僚に申し訳ないと思わないかな。
クライマックスの襖に書かれた「おかえりなさい」の文字、そんなにぐっとくる?かんちゃん(清原果耶)はずっと地元にいたんですよね?高校生の頃にも会っているし。何がそんなに決定的な一言だったのか、分かりませんでした。


東日本大震災生活保護は、物語のミステリーとしての材料に過ぎなかったのでは。


エンディング曲は桑田佳祐『月光の聖者達』。
www.youtube.com
これはビートルズに心躍らせていた昔の自分を思い起こすという曲ですが、歌詞全体を見るとこの作品に合っていますね!


さて、生活保護について。
そもそもこういう作品で生活保護が取り上げられると、いつも「不正受給」が描かれますよね。でもね、不正受給なんてほぼないの。
yomidr.yomiuri.co.jp
保護受給世帯の内、金額ベースで0.45%、世帯数ベースで2.7%です。そもそも生活保護の受給件数は世帯全体の1.69%です。

その中の0.45%であり2.7%ですよ。ほぼゼロじゃないですか。それなら、ことさらに不正受給を取り上げるのではなく、真に困っている人がなかなか受けられない、世間の偏見により差別を受けている、などをもっと描いた方がよかったと思います。
千原せいじステレオタイプな描き方はいいとしても(実際、ああいう不正受給って、どうやって成立させているんだろ?)、娘の塾費用のために黙って働いていたというのは、「働いたら保護費が減らさせる」ではなく「働けば控除が利くので手取りが増えますよ」というプラスのメッセージで描いてほしかったです。


劇中で、永山瑛太演じる福祉事務所職員が扶養照会を渋るけいさん(倍賞美津子)に保護の辞退届を書かせる場面があります。これは「水際作戦」といい、保護申請希望者に対しいろいろ注文をつけたりして保護の申請を受けない事務所のやり方をいいます。この水際作戦はあってはならないことなのです。申請者は全員受ける、その上で保護必要な人は保護を開始する。これが正規のやり方です。受けたくないから、面倒だから、忙しいからといって申請を(実質的に)拒むことはしてはならないやり方なのです。
特にこの場合は、けいさんは保護を受けなければどうやって生活していくのですか?その後の生活の見通しもないまま辞退受理なんてしてはいけません。扶養照会の保留などで、まずは目の前の命を、目の前の生活を助けなければならないのです。
※「扶養照会」とは、保護申請者・受給者の親族に支援ができないかを問う手紙を出すことです。親族は「できる範囲内で」支援なので、もちろん支援「しなければならない」ではありません。実際は「精神的支援(緊急時の連絡先など)は可、金銭的支援(仕送りなど)は不可」という場合がほとんどです。返信がないことも多いです。
というわけで、金銭的支援をしてくれることなんてまれ(というかほぼゼロ。だって、支援してくれる関係性があれば既にしているはずですから)なので、扶養照会って個人的にはやる必要ないと思っています。もちろん本人だって親族に知られたくないと思っている場合が多いし。その結果、2021年3月に扶養照会は積極的にやらなくてもよいと制度運用の変更が行われました。


話を映画に戻す。
この場面は数年前の設定なので、扶養照会は今よりもまだデフォルトで行われていました(もちろんこの時代だって福祉事務所により温度差はあります)。そこで瑛太の言っていた「原理原則に則って」というのは、間違っていません。扶養照会は絶対にやるんだ、と。
それでもやっぱりその運用は厳しすぎるなと思うのですが、当時震災の影響で被災地からこの地区に人がたくさん避難してきて、保護申請がたくさん行われており、さらに瑛太は倒れた墓石の復旧作業まで自主的にやっていました。そんな過酷な環境の中であれば、瑛太の対応は悪い!と一刀両断するのはちょっと可哀相だな、とも思うのです。
組織としてマンパワーが圧倒的に足りない。その中でどうやって仕事をしていくか。その結果としての「原理原則」であれば、そこまで責められたものではないな、と同情してしまうのです。
作品としてのバランスが上手い。


「声をあげてください」というメッセージは正しいけど、あの犯罪が仕方ないとはどうしても思えないし、その凶行がもたらす影響は「声をあげてください」に追い風になるとは思えないのです。
清原果耶とは別にもうひとり、不条理な思いをしている人を登場させて、その人が凶行に走る。清原果耶と佐藤健がそれを止めようとする、の方がよいのでは。無理解が引き起こす悲劇として。
本作だと「いじわるな生活保護担当が殺された。殺されるのは可哀相だけど殺される側にも理由があった」という作りに見えてしまいます。そうではなくて「生活保護すべき人を見捨てたように見えるが、福祉事務所側にも理由があった」のです。


この作品で生活保護の何かが分かるとは思いませんが、こういうエンタメ作品で取り上げられることは意味がある。実際保護が必要な人は映画なんて見ている余裕はないと思いますが、SNSなどで広まってほしい。そして手をあげてほしい。声をあげてほしい。届きます。拾います。掴みます。


瀬々敬久監督の他の作品の感想↓
ese.hatenablog.com
『64』も見たけどそちらはハマらなかった。