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岡村靖幸、NEWアルバムまでの歩み

主観と想像と妄想(based on true story)


岡村靖幸のNEWアルバムの発売が決定して、日本中が大騒ぎです(私調べ)。そりゃそうですよね。岡村ちゃんの11年半ぶりのアルバムだもの。
ese.hatenablog.com
11年半。長い。当時生まれたての子どもが小学6年生、当時小学6年生が社会人になっているような年月です。
で、その11年半前、前作「Me-imi」が2004年に発売されているのですが、その前の「禁じられた生きがい」は1995年発売なので、ここでも9年空いているのです。さらに前作「家庭教師」は1990年なので、ここでも5年。
しかし、デビュー作「yellow」が1987年で、そこから1988年「DATE」、1989年「靖幸」、1990年「家庭教師」までは毎年アルバムを出していたのですよ。
なぜ「家庭教師」から急に寡作になってしまったのか。今回のエントリはその謎に迫る。ちなみに本日「家庭教師」発売25周年の記念日です!


本エントリは、これまでの雑誌の記事やインタビューを元に、私の主観と想像と妄想で構成されていますのであらかじめご了承ください。


「家庭教師」までの岡村ちゃんは、女の子が大好きで女の子にモテたくて、ダンスが大好きでディスコが大好きな男の子でした。
当時同い年の吉川晃司、尾崎豊と毎日のように遊んでいて、じゃんけんで吉川晃司が勝てば酒を飲む、尾崎豊が勝てばナンパに行く、そして岡村靖幸が勝てばディスコに行くというのが彼らの中で流行りだったそうです。それにしても、3人とも180センチ以上のイケメンが3人揃って夜の街を歩いている姿を想像すると、それだけでテンション上がっちゃいますね。
日本自体もバブル景気で浮かれていました。イケイケで楽しい世相でした。


しかし、バブル崩壊もあって社会は変わっていきます。
ディスコはジュリアナ東京(開業は1991年)の登場とともに「イケてる大人の社交場」から「ジュリ扇を振り回すボディコン」に変わり、1991年には宮沢りえサンタフェ」が発売されヘアヌードが事実上解禁になります。さらに熟女ヌードブームなんてものもありました。
「オールナイトフジ」など女子大生が中心だった世間は、ルーズソックスやブルセラなどにより女子高生が中心になりました(それは今でも変わっていません)。
さらに女子高生の風俗化(俗世間に混じっていく様子)は、ブルセラに続き援助交際という形でも世間を賑わします。「援助交際」は1996年の流行語大賞にノミネートされています。


この世の中で、岡村ちゃんは混乱します。自分の好きだった女の子が、全く理解できない行動をしている。社会は、女の子はどうなってしまったんだ。
1991年「ターザンボーイ」、1992年「パラシュート★ガール」以降、岡村ちゃんは沈黙します。作品の発表もなく、インタビューにも登場しなくなりました。


そして1995年、久々に発表したシングル「チャームポイント」には、次のような歌詞が登場します。


岡村靖幸‐チャーム - YouTube

熟年ヌードのムードが僕にはHey!Girl!消化不良すぎる
毛だってもっと隠せよ 今でも初恋(ファーストラブ)憶えてるなら
激しく健気な頃の夏を取り戻せ


まだ受験の試験中でテレクラ嬢になってる
ベルのコールが授業終了のチャイムとデュエット


(中略)
だから言えよ 前人未到の純愛掲げる
若さ ばかさ 全部オーライ
受難にも自爆スイッチオン

コギャルやヘアヌード・熟女ヌードに対する混乱と困惑を「受難」という言葉で表現しています。それでも自分は純愛を貫こうとするが、それは「若さ ばかさ」であり、そんなものは「自爆スイッチオン」なのです。それすらも「全部オーライ」と受け止めているのですが。


そして同年発表のアルバム「禁じられた生きがい」でも、歌詞の混乱は続いていました。
本来は歌詞とメロディーがあったであろう「あばれ太鼓」、まだ仮詞状態(意味よりも音だけの言葉)の「クロロフィル・ラブ」など、サウンドは進化しているのに言葉が追い付いてこない。
確かにこの時期は「曲はいくらでも書けるけど、歌詞が書けない」ということをインタビューで発言していました。


ここからまた沈黙。シングルを散発的に発売したり他人への曲提供などはするものの、表立った活動はなし。個人的にもこの頃のシングル「ハレンチ」「セックス」「真夜中のサイクリング」「マシュマロハネムーン」「モン・シロ」「ミラクルジャンプ」はあまり大好きではありませんでした。ビートは重くなり、歌詞は意味を持たず、声も変化。そして見た目も変化。


2004年、アルバム「Me-imi」が発売されましたが、これも私は大好きではありませんでした。理由は先ほど書いた通り。もうあの頃の「岡村ちゃん」はいないんだなあ、なんて思っていました。
そしてこのとき「筑紫哲也NEWS23」に出演しパフォーマンスもしましたが、あまりの変わりように幻滅に近い感情を抱きました。


そして…


2005年、逮捕。しかも2回目の逮捕でした。終わった。このときの私はそう思いました。多分ファンはみんなそう思ったと思います。
何でこんなことになっちゃったんだろう。
歌詞が書けない悩み。楽器を全て自分で演奏出来てしまうため、スタジオにはひとりでこもりっきり。いくらでも音をいじれてしまうゴールなき制作活動。ゴールは歌詞だから、ゴールにはたどり着かない。
ひとりで底なし沼にはまってしまい、あんなことになっちゃったのかな。


2007年、小林武史が主催するap bankのイベント「AP BANG! 東京環境会議 vol.1」にて復帰。このとき小林さんが「彼は帰ってきました!」ということを言っていて感動したのを覚えています。イベント自体は見ていないのでパフォーマンスの出来は分かりませんが、「帰ってきた」ということを感じました。


そして同年「はっきり もっと 勇敢になって」発売。これが良かった!これで本当に「帰ってきた!」ということを実感しました。

岡村靖幸 結婚を語る。 インタビュー&はっきりもっと勇敢になって - YouTube
(シングルバージョンの音源見つけられなかった)

イメージしてよ青空 鮮やかな朝の色
不思議だね 愛情はBaby 自分だけじゃダメになってく


(中略)
はっきりもっと勇敢になって ふざけるのやめて
同じような日々はもうすぐ過去だぜ
こんな時ちょっと 言い訳やめ 育てるよ悩んで
よく考えてみてよ 僕がアンサーだぜ

「青空」「鮮やかな朝の色」「自分だけじゃダメになってく」「ふざけるのやめて」「言い訳やめ」…、これまでの反省と、未来に向かって踏み出す感じが出ています。
そして「はっきりもっと勇敢になって」「僕がアンサーだぜ」という潔い宣言。
短髪になり痩せてすっきりとしたジャケット写真も含めて「復活」を祝福しました。


しかし。


2008年、逮捕。
終わった。マジで終わった。もう無理だ。薬物での3回の逮捕。しかも大麻などではなく、覚せい剤。終わった。
例えファンが待っていても活動は無理だろうし、活動再開したって以前のような曲が書けることはないだろう、声が出ることはないだろう、パフォーマンスができることはないだろう。
外側の理由(拾ってくれるレコード会社なんてない)も内側の理由(ミュージシャンとしてのレベルを維持できない)も含め、完全に終わったと思いました。あとは残された曲を聴いて過ごそうと。


2011年、TVブロスの表紙になっている岡村靖幸を発見。んんんんんんんんんんん????????どういうこと?中を見るとセルフリアレンジアルバムの発売のお知らせ。
このとき、復活はもちろんうれしかったのですが、新曲でなくセルフリアレンジアルバムということでちょっとがっかりしたことを覚えています。新曲作れないから過去作をいじくっただけか、と。


とはいえファンなので、アルバムは買うわけですよ。で、買って車のHDDに入れて走りながら聴いていたら、「どぉなっちゃってんだよ」のあまりのカッコよさに車の中で叫びましたね。なんじゃこりゃー!多分そのとき時速400㎞くらい出していたな。
びっくりした。いいんだもの。めちゃめちゃいいんだもの。


そしたら当然ライブに行きますよね。
2011年9月7日、私は新木場にいました。まだTwitterも始めていなかったので完全なるひとりぼっち。それでももちろん行くよね。
そしてそこで見た岡村ちゃんは、プロとして人前に立てるフロントマンでありミュージシャンでありシンガーソングライターダンサーでした。
そのときのエントリ↓
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とても感動しましたが、今から思えば表情は固いし曲数も少ないし疲れている感じもしました。でも、この時はそれで十分でした。


その後握手会、シングルの発売などを経てコンサートツアーも定期的に行ってくれて、ダンスのキレも声量も笑顔もどんどんよくなっていきました。
そしていよいよ、アルバム発売決定です。完全復活です。
長かった。この文章も長いけど。


やはり今回の完全復活は、「社交の賜物」だと思っています。前回のエントリにも書きましたが、いろんなジャンルの人たちと会い、いろんな価値観や考え方に触れる。ひとりっきりでスタジオに籠ってないで、定期的に外の空気に触れる。
そして音楽制作でも自分一人で全てを作らないようになっていきました。マニピュレーターの白石さんとは復活以降ずっと一緒に制作を行っていますし、歌詞も他人と共作しています。そして今回の「ラブメッセージ」ではベースを横倉さんに委ねています。
他人に任せることができるようになって、肩の荷が下りたのかもしれません。
うれしい。本当にうれしい。


もうひとつ。
長いブランクを経て新曲を出すミュージシャンは多くいますが、それがいい曲だというのはとても高いハードルです。待った分、期待値は高まっているので。ガンズの「チャイニーズ・デモクラシー」みたいになるのをいくつも見てきました。
それが、「エチケット」も素晴らしかったですが、それ以降の完全新作「ビバナミダ」「愛はおしゃれじゃない」「彼氏になって優しくなって」「ラブメッセージ」のどれもが素晴らしい曲だったことに私はモーレツに感動していますし、だから来年のアルバムも期待しかしていません。
岡村ちゃんのNEWアルバムが出る」という事実だけでもうれしいですが、内容も絶対にいいものができているという確信があるから、余計にうれしいし期待しているのです。


長くなった。本当に長くなった。
まとめると、名作を生み出してしまったため次作のプレッシャーに押しつぶされ、悪いことに手を染め、それでも復活してきた岡村ちゃん。そこには「他人と協働する」ことを覚えたことが大きかったのでは、ということです。
岡村ちゃん、おかえりなさい。そして新作ありがとうございます。 


幸福

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