やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

私が苦手なのは「体育会系」だった。「スポーツ」は素晴らしい。

スポーツと体育は別もの


東京五輪が終わりました。私はスポーツ全然興味ないので積極的に見ることはありませんでしたが、選手の皆さんお疲れさまでした。
で、今回はスケボーやクライミングなど新しい種目で新しい人たちが出てきたなーと思ったのでそのことを書きます。でも、競技自体はほぼ見てないので詳しいことは書けません。


スケボーは、フランクな解説も話題になりましたが、それよりもいいプレイが出たら敵でも称えるし失敗しても声を掛け合うという文化がよかったです。「敵」とか「倒す」とかではないんですよね。すごいトリック決めたあいつすげー。俺も負けずにやってやるぜという感じがとてもよい。
個人的にはこういう「遊びや文化からスポーツになった」というスケボーの立ち位置はHIPHOPにも似ているなーと思っています。HIPHOPの場合は「遊びや文化から音楽になった」ですね。カッケーことがいちばん偉い。高い音が出るとか速弾きができるとか難しいコードを使えるとかは関係ない。カッケーことがいちばん偉い。
今回堀米さんが金メダルを獲ったことでスケボーの地位は上がりました。公園で練習している若者を見る目も変わったと思います。あー、早くラップもそういう立ち位置にならないかなー。
ライミングでは野中さんが8歳年上の野口さんに対して「あきよちゃん」と呼んでいてびっくり。こんなの、プロ野球ではありえないですよね。


私は運動あまりできない芸人だし体力全然ない芸人なので、体育会系とはまったくの無縁です。高校時代は帰宅部で犬の散歩を毎日していました。そしてサブカルに進んでしまったためウェイやパリピを憎むルサンチマンが溜まっていく若者時代を過ごすこととなりました。


会社としては、サブカルより体育会系を選びますよね。元気だし体力あるし素直だし先輩のいうことは何でも聞くし。会社にとってはありがたい存在です。
でもそれって、本当にいいこと?正しいこと?


私が体育会系をイマイチ信用できないのは、スポーツマンってあまり正しくも清らかでもないんじゃない?と思っているからです。
例えば野球でタッチした・されてない、ベースに到達するのと相手のタッチがどっちが早かったとか、そんなの本人たちがいちばん分かっているんじゃない?それでも審判が自分の有利な判定をしたら、例えそれが間違っていたとしても受け入れるのですか?
例えばサッカーでファウルを受けたと転んで足を抱え痛がってアピールしても、スローで見たら相手の足は全然本人の足に当たってなく、勝手に転んでアピールしているように見えるときがあります。それでファウル判定にならなかったらすぐ走り出す。さっきの足痛いアピールはどこいったんだよ!痛くないのかよ!
この辺がよく分からないです。経験者の皆さん、教えてください。


また、高校野球丸坊主。これは完全に同調圧力の賜物です。野球をしたい子供が高校生になったら丸坊主にしたくなるんですかね?もし野球部で坊主は強制でないとしていても、全員坊主なのは部内にそういう空気があるからでしょ。
そして、体育会系は先輩が絶対。先輩が白だと言えばカラスも白い。何が正しいかではなく誰が言ったか。
そういう空気とそういう教育を経て大人になった人が、上司や先輩に対して「それは間違っています」と言えるのですかね。相手のミスが自分の得点になる価値観の人は、相手のミスを喜ぶ人にならないですかね。


まあ、ほとんどの人は「いい人」に成長するのでしょうが、心根の曲がった私はそんな邪推もしちゃうのです。
そこで、今回の五輪です。スポーツ、素晴らしいじゃん!私が好きでなかったのは「体育会系」であり、「スポーツ」は素晴らしいんだな!
もちろん、種目による違いもあるでしょうが、新しい人たちは新しい価値観を持っていて、それがとてもまぶしく見えた2021年の夏でした。