やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

映画『アルプススタンドのはしの方』感想

しょうがないなんて言うな!


映画『アルプススタンドのはしの方』を見ました。
alpsnohashi.com
Netflixありがとう。


感想は、大満足!とても面白かったです!


この作品は、皆さんの感想でもよく挙げられている『桐島、部活やめるってよ』を思い出させます。高校時代に真ん中だった人とはしっこだった人。この作品は演劇が原作ということと小規模作品であることから、『桐島』よりさらにミニマムな関係性のみを描きます。


作品中、「人生は三振の連続だ」「人生は送りバントだ」という、名言っぽいけどよく分からない台詞が出てきます。でもね、それをいうなら「人生はしょうがないの連続だ」ですよね。
しょうがない。人生はすべてが思い通りにいくわけではありません。上手くいかなかったり失敗したり諦めたりすることの方が多いです。それを慰めてくれる魔法の言葉が「しょうがない」なのです。実際はそんな言葉で魔法のように悔しい気持ちが消えるわけではありませんが、どうにかして折り合いをつけながら人生をやっていくしかない。そこで「しょうがない」に縋ったり悔しい気持ちを被せたりしていくのです。


頑張ることへの肯定/否定、諦めることへの否定/肯定は、フィクションの世界ではこれまでも数多く描かれてきました。だって実人生で誰もが体験することだから。
70年代スポ根マンガは「諦めずに頑張る」ことが美徳とされ、いろいろなことを犠牲にしながら努力して成功を掴む、という物語が王道でした。
その後80年代になり軽薄な世間の空気もあり、一生懸命頑張ることはダサい・恥ずかしいという方が王道になりました。80年代後半~90年代はサブカルの時代でもありましたから、王道に対するカウンターという意味合いも大きかったと思います。
90年代末はノストラダムスの大予言があり、「頑張っても無意味」という虚無感や無力感がありました。それが00年代になると青春パンクの流行などもあり、頑張ることや感謝することを恥ずかしがらないことがよしとされてきました。
いつだって時代は巡る。王道に対するカウンターとそれの揺り戻し。


そして現代。これらの価値観は何周もして、さらに「多様性」という現代の王道の価値観もあり、どちらかに傾けて描くことは難しくなりました。どっちに描いてもその反対側からは「そうじゃない」という反発は受ける。
さてどうする。


物語序盤、演劇部の安田あすはは「しょうがない」と口にします。だってそう思わなければやっていけない出来事が自分にはあったのだから。
続いて元野球部の藤野富士夫も「しょうがない」と言います。頑張っても勝てないんだから諦めるのもしょうがない。
それに対して、同じ演劇部の田宮ひかるは安田がそう言うことに対して居心地が悪い。だってその「しょうがない」の原因を作ったのは自分なのだから。


序盤で「しょうがない」の台詞が出たとき、私も同じ気持ちでした。ダメだったのはしょうがない、そう思わなきゃ気持ちの置き所がない。野球部が負けるのもしょうがない。甲子園常連校に勝てるわけなんてない。だから応援だって意味がない。厚木先生が「もっと声出せ」「みんなで心をひとつに」と言うのがウザくてたまりませんでした。私たちはしっこにいる人間にとって、青春のど真ん中にいる野球部に対して応援する意味も義理もないわ、と。


それが、途中から変わってきます。練習しても意味ないから辞めた藤野に対し、下手なのに辞めずに練習してきた矢野が代打で登場。送りバントを成功させ、その後の得点につなげます。
しょうがないなんて言っているだけじゃ何も変わらない。諦めずにやることだけが未来を変える。


そう、「しょうがない」は過去なのでしょうがないけど、「じゃあどうする」は未来なのでしょうがなくない。未来に対して「しょうがない」で諦めてどうする。落とし前や決着をつけるのは、自分のこれからの意志と行動だ。


諦めなかった矢野と、ずっとエースで頑張ってきた園田の活躍により、ゲームは最終回逆転のチャンス。結果試合は負けてしまいますが、「しょうがない」で諦めずに最後まで戦ったからこそ選手は悔いなくゲームを終えることができたでしょうし、見ていた安田たちも諦めずに応援したからこそ自分たちも悔しがれたし自分たちもその先へ進む意欲を持つことができました。


そしてエピローグ。「しょうがない」から卒業した彼らのその後を、ずーっとワンカメワンショットで描いていきます。登場人物それぞれの着地がいい。ご都合主義かもしれませんが、ここはこれくらいハッピーエンドな着地でよいと思います。


いやー、素晴らしかった!
冷静に見ればアラなんていくらでもあります。そもそも演劇が原作なので会話が演劇っぽいとか、どう見てもアルプススタンドじゃねーだろとか。
会話問題は、もともと舞台版で出演していた演者たちのため技量があって違和感は感じませんでした。見終わってから「舞台っぽいな→調べたら舞台だった」という程度。
そしてアルプススタンド問題は、タイトルがこれだからどうしようもない。演劇は「ここは甲子園のアルプススタンドです」と設定すればそこはアルプススタンドになりますが、映画は映像として描かなければならない。そしたら、いくらなんでも寂れているだろとか、お客少なすぎるだろとかは感じますよね。特に野球好きの人が見たら。
なので、これは地方大会の決勝もしくは準決勝にして、安田と藤野が「ここ、アルプススタンドって言うんだよね」「違うよ、それは甲子園だよ」みたいな会話を挟めばよかったのでは。
でもまあ、そんなのは些末なこと。人によっては大きなノイズかもしれませんが、物語の本質には影響しない。


そして、本作が素晴らしいのは、はしっこにいる人だけでなく、真ん中にいる人もきちんと描いていることです。
エース園田の彼女である久住智香は、野球部のエースと付き合いながら吹奏楽部の部長で勉強も学年トップ。そして可愛い。私から見れば天は何物与えているんだという「持てる者」ですが、彼女からは「一生懸命頑張ったら報われたいと思うことの何が悪いの」「真ん中は真ん中で大変なんだよ」という発言があります。そうだよな、頑張ったんだから報われるのは正しいこと。なのにひがみやっかみ妬みを受けるんだもんな。そして今からはしっこに移ることも難しいし。
暑苦しいと思っていた先生は、確かに暑苦しいし接し方はウザいですが、悪い人ではないし一生懸命やっている人です。それがエピローグで描かれる結果につながっていくわけで、自分の思い通りにいかなくても(野球部の監督をやりたかった、茶道部の顧問は望んだわけではない)、一生懸命やっていれば結果に繋がることもある。


私は、良質な青春映画とは「物語の始まりから終わりの間に登場人物が成長していること」だと思っていて、それが本作ではとても上手く描かれていました。
物語は野球の試合の5回から描かれます。高校3年生の夏って、本人たちにとってはもう8回くらいかもしれませんが、実際はまだまだ人生の序盤。そして9回が終わっても人生は続いていく。いい着地、そしていいエピローグでした。


というわけで、名作。75分という短い上映時間もよい。ぜひ皆さん、見てください。