やりやすいことから少しずつ

好きだと言えないくせして子供みたいに死ぬほど言ってもらいたがってる

「だから日本はズレている」 古市憲寿 感想

おじさん、これ読んで!


古市憲寿さんといえば「絶望の国の幸福な若者たち」で一躍話題になった若き社会学者です。(私はこの本読んでいませんが)
本書は様々な雑誌に掲載した記事に加筆訂正して1冊の本にまとめたものです。そのため、社会学者の本としては掘り下げが甘いというツッコミもあると思いますが、逆に文章としては読みやすく、新書というフォーマットに適した内容になっています。


この本は面白い。どの章もパンチラインだらけで、引用していったら何字あっても足りません。なのでここではざっくりとした話だけ。詳しい内容は各自で購入して読んでください。


■リーダーなんていらない
現代のように将来が不透明な時代には「強いリーダー」が求められるが、そんなものはいらないと。現代の日本はリーダーなんていなくてもちゃんと回っていくきちんとした組織があるんだから、逆にそこを誇れと。
確かに、今の時代はひとりのリーダーが現れたところでできることは限られています。それどころか、「政治」や「国家」ができることでされ限られているのです。この時代、「国家」と「google」のどちらが力を持っているでしょうか。


■「クール・ジャパン」「ポエム」「テクノロジー」
どれも、おじさんが若者を意識してずれたことをやってしまった結果、ずれた成果物ができてしまうというお話。
言葉をこねくり回して、結果何を言いたいのか意味不明になる文章。「付加価値」にこだわるあまり、誰も欲しがらない価値を付加してしまう製造業。
「若者の力を」と言いながらおじさんが決めてしまうから、ずれてしまう。


■「ソーシャル」に期待しすぎるな
この章、頷きっぱなし。「IT」とか「ソーシャル」に期待しすぎ。
Twitterのフォロワーが1万人になっても、テレビの広告には全く敵わない。同じように、炎上したところでその影響はたかが知れてる。ある個人の意見がダイレクトに届くので大きな影響があるように感じても、実際そんなことを気にしているのはごくわずか。
これは、大人社会で何か新しいことを始めるときに「Twitterのアカウントを取りましょう」「ホームページを立ち上げましょう」「Facebookのページを作りましょう」というのも同じ。それをすれば全世界とつながるという妄想。で、開設後1か月もすればホームページの閲覧者数なんて数十名。確かに全世界とつながっていますが、アクセスしてくれる可能性とかアクセスしてもらうための方法論とかは全く考えていない。「インターネットを使えば無料で全世界が見てくれる」と思っているのかな?
これは企業でも公務員でも同じ。


■「就活」「新社会人」「学歴」
著者は「入社式」という日本独自の儀式や新社会人の「使える・使えない」論議にはシニカルな視線を向けていますが、「新卒一括採用」という日本独自の就職方法や学歴自体は否定していません。
この辺は勉強ができた著者だからでしょう。
私も、学歴は否定しません。「きちんと勉強(努力)してきた証拠」のひとつとして学歴はあると思いますし、単純に知識があることはいろいろ役に立つ。また、学歴を獲得するために努力をしてきたわけで、それは今後会社に入ってからも「努力できる人」は重宝するでしょう。
まあ、その反面「想像力」「発想力」を求めるのは難しいのも分かります。しかし、それは就活や採用のせいではなく学校教育のあり方なので、それはまた別の話。採用の場面で想像力や発想力を見極めるのも難しいと思いますし。
でも、だからこそ、採用のやり方は変わっていかないといけないとも思うのです。わずか数回の面接でその人のことなんて分かるはずがない。それは企業・学生両方とも。なので、採用はしたけれどミスマッチだった社員は再チャレンジができる仕組みが必要だと思うのです。
しかし、現在は「新卒」の肩書が重要で、「1年で辞めました」はマイナスにしかならない。企業が間違って採用した(学生が間違って志望した)んだから、やり直しのチャンスは与えてほしいな。
その方が企業としても自社にマッチする社員を獲得しやすくなると思うのですが。


■「若者」に社会は変えられない
散々「おじさん」がこの社会をダメにしたと訴える著者ですが、それでもこの社会を変えるのは若者ではなくおじさんだと著者は書きます。
それは、「おじさん」の方が若者よりも人脈もお金も経験も、あらゆるリソースを持っているからだと。
確かにそうです。若者に期待するくせに若者には権限を与えない。若者自身も現代に不満を持っていないから変革を起こすモチベーションがない。現代に住みにくさを感じている若者は「デモ」や「革命」ではなく、この社会から一歩引いて自分たちのコミュニティで新しい「社会」を作り始めています。それすら、若者全体から見ればごく少数ですが。


この本を読むと、新聞を始めとした大手マスコミで語られている「現代社会」とか「今どきの若者」とズレていることを感じるでしょう。そのズレこそが「おじさん」と「若者」のズレなのです。
おじさんは若者に過度に期待したり恐れたりしながら、何もさせない。若者はそんな危機感も不平不満も持たずに「今ここ」を楽しく過ごしている。


多国籍・無国籍企業が世界を跋扈する中、国家にできることはもはや限られています。なので、「社会の変革」とは、デモや革命ではなく、自分の周りを楽しくすることなのです。その「小さい変革」が数多く起こることにより、社会全体がより良くなっていくのです。それは経済成長とは合致しないかもしれませんが、幸福度や満足度は上がっていく社会になるのではないでしょうか。


本書では最終章として2040年の日本を予想した内容が書かれています。
それは、階級社会が定着し、それにより不平不満は却って少なくなり、幸福度が上がっていく社会でした。
そしてその時代の都知事は朝井リョウで、ベストセラーは三浦知良の「死なないよ」というジョークも織り込まれています。


「おじさん」が29歳の社会学者の本を読むでしょうか。読まないからこそおじさんなのでしょうが、おじさんにこそ、何とか読んでほしいなあ。おじさんが「最近の若者は」と眉をひそめ合っても意味が無いように、若者が「実際の若者」の本を読んでもあまり意味がないのです。
おじさんに届け!とおじさんの端くれである私から切望します。


だから日本はズレている (新潮新書 566)

だから日本はズレている (新潮新書 566)

絶望の国の幸福な若者たち

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