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映画『スパイダーマン: スパイダーバース』 感想

「アメコミの実写化」の正解


映画『スパイダーマン: スパイダーバース』を見ました。公式サイト↓
www.spider-verse.jp
私は、アメコミ映画をほとんど見ません。スパイダーマンという超メジャータイトルですら見たことがありません。そしてアニメもほとんど見ません。しかし、この作品はとにかく評判がいい。じゃあ見てみよう。


面白かった!ただし手放し絶賛ではなく。


スパイダーマン』はもちろんアメコミが原作です。現在アメコミ原作の実写映画はたくさん作られていますが、「コミックの実写化」って、これが正解なんじゃない?
この作品は3DCGアニメが基本ですが、ところどころわざと手描き風にしてあったりコマ割り風の表現があったり、モノローグの吹き出しをそのまま文字として画面に出したり、顔の周りに「~」を描いて「気を感じる表現」としたり、マンガそのままの表現方法(オノマトペですね)をアニメとして使っていました。
そして肝心の動きやアクションは3DCGアニメですから、縦横無尽に360度に自由自在に動き回るわけです。このアナログとハイテクの選択が非常に上手い。


主人公マイルスはブルックリンに住む黒人の少年。成績は良くて地元から少し離れた進学校に通っています。家族からも愛されていて、映画によくある逆境の生い立ちではありません。まったく普通、もしくはちょっと恵まれている環境。
そんな環境であっても、いや、どんな環境であっても、思うことや感じることはみんなと同じ普遍のこと。周りは自分をどう見ているんだろう。周りに合わせて虚勢を張らないといけない。思春期、揺れ動く心と体。
これは、ブルックリンや黒人や少年は関係ありません。どの場所でもどの人種でもどの性別でも、現在若者・学生でも過去そうであった人であろうと、みんなに共通で普遍の感情だと思います。
つまり、この物語の主人公はマイルスであり私、私たちなのです。この映画は、俺の物語だ!


優等生であり続けることに疲れたマイルスは、チョイ悪オヤジの叔父さんのところへ遊びに行きます。たまにグラフィティを描くのが彼の趣味なのです。
※ここ、子供に非行(っていうほどの行為じゃないけど)をそそのかす場面で、物語上は違和感ないのですが、こういう場面って最近の邦画では見ないなあと思いました。物語上の必然がないから描かれないだけかもしれませんが、非行を助長する描写は描きにくいのかなあ。それが上からの指示なのか自主規制なのかは分かりませんが。
そしてここからクモによる感染、ピーター・パーカーとの出会い、別次元の発生という物語本編が始まります。


ネットを見ると別次元のスパイダーマンたちの扱いが薄いという意見がありますが、2時間で描くなら仕方ないと思うので、私は擁護します。それよりも白黒ハードボイルド風、日本アニメ風、手塚治虫ひょうたんつぎ風と、絵のタッチが全然違うキャラを同じ世界に存在させる手法に感心しました。それだけでもう十分。


新米スパイダーマンのマイルスは、まだ力のコントロールが上手くいかないため、他のスパイダーマンたちの足手まといとなってしまいます。他のスパイダーマンたちは悪気なく「俺たちに任せろ」と言いますがマイルスは悔しい。だって、ピーターと約束したんだもの。自分だってできるはず。自分がやらなきゃ。
そして同時期に父親からの「お前を信じている」という言葉。ここで「躓き→落ち込み→復活」という王道の流れは完璧。
ただ、個人的には技の習得やピーターとの師弟関係はもっと描いて欲しかったなあ。気持ちだけでなく技術も向上していてほしい。


意を決したマイルスがメイおばさんの地下室でコスチュームを選び、自分のグラフィティの技術を使ってオリジナルスパイダーマンになるところ、よい!
※メイおばさん、何でこんなにすごい地下室持っているの?『バットマン』や『アイアンマン』レベルだよ!
そしてクライマックスは『サマーウォーズ』の電脳空間をさらにポップで極彩色でハイパーでサイバーにしたような世界で戦い、キングピンに勝利してめでたしめでたし。


物語は、王道中の王道。普通の人がヒーローの力を身につけ、悩みながらもその力とその責任を背負い、ヒーローとして自立していく。
映像の情報量がめちゃめちゃ多いので、物語の筋はシンプルな方がいい。バランス取れています。


私はアメリカの文化(ファッションや音楽)も分からないし英語も分からない。アメコミも分からないしスパイダーマンも分からない。劇伴の歌手や歌詞にも意味があっただろうし、部屋の壁のポスターや街の広告にも意味があっただろうし、アメコミやスパイダーマンについてのオマージュなどもあったでしょう。
それらがほとんど分からなくても十分面白かったので、知っていたらもっと面白かったんだろうなあ。


そして、この作品の最大のテーマ「ヒーローは選ばれし人しかなれないのか?」に対する「誰もヒーローになれる!」という回答。これについて私はあまり賛同しないんだよなー。テーマに賛同しないだけで映画は十分面白かったのですが。
選ばれし人だからヒーローなんじゃないの?誰でもヒーローになれたら、それはもうヒーローではなく普通の人なのでは?
マイルスだって普通の人がヒーローになったのではなく、あのクモ(あのクモに描かれていた「42」はどういう意味があるのですか?)に噛まれたからスパイダーマンになったわけで、本人の意思ではないし「選ばれし人」ではありませんが、噛まれなければヒーローになる前提条件にも立てないわけで。
物語の途中でも「お前は才能がある」とか言われていましたが、キャラ設定として何か特別な才能があるわけではなく、いたって普通の少年として描かれています。だからこそ「普通の人でもヒーローになれる」なのでしょうが、うーむ。


今の日本は「何もしなくてもあなたは素晴らしい」「ナンバーワンでなくてもオンリーワン」「個性こそ素晴らしい」という教育や社会の空気や子育てやネット上のポエムが蔓延していて、私はそこに違和感を持つのです。型があってからの個性だろ。基本があってからの個性だろ。押さえつけても出てきちゃうのが個性だろ。何もなくて出ているのは野生と本能と粗雑だよ。


この「誰でもヒーローになれる」は、スターウォーズ『最後のジェダイ』でも描かれていましたね。現在のアメリカでもこういう空気・流れなのでしょうか。
そうであってもいいけど、そうであるならマイルスの「個性」がスパイダーマンとしての能力に反映していたり、ラストの戦いでその個性が活きる勝ち方を見せてほしかったです。


まあ、そんなことは小さいこと。青春映画・ヒーロー映画として素晴らしかったです。「大いなる力には大きな責任が伴う」というスパイダーマンの命題も本質は変わらぬまま現代にアップデートされていたし、エンタテインメントとしてとても上質な作品でした。


ついでに。
SFやアクションはお金がかかるので日本で制作するのは難しいですが、アニメならできるんじゃない?イケメン王子とか難病ものとかの安パイに逃げなくても、テーマとして難しい作品だとしても、エンタテインメントにすれば表現できるしヒットするんだよ。日本映画の人、悔しくない?